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読 む乳がん体験者・医師インタビューなど配信中。New 08/08UP

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#インタビュー

美容の力で患者さんの心を支えることがライフワークです!

2017.05.22

乳がんを経験した増田美加が同じ乳がんサバイバーをインタビューする連載1回目は、長年、美容ジャーナリストとして活躍している山崎多賀子さんを取材。山崎さんは乳がん治療中、外見のケアが心を勇気づけ、前向きに治療に臨むきっかけとなったことを実感したといいます。がん患者が闘病中も美しくいることの大切さをご自身の体験とともに伺いました。

インタビュー・執筆/増田美加(女性医療ジャーナリスト)

山崎多賀子さん

やまざきたかこ/美容ジャーナリスト。永年に渡って美容と健康に関する取材、執筆を続ける。2005年に乳がんが発覚し、右乳房全摘出、化学療法、ホルモン療法などを行い2012年治療終了。NPO法人CNJ 認定乳がん体験者コーディネーター。NPO法人キャンサーリボンズ理事。NPO法人女性医療ネットワーク マンマチアー委員会を毎月銀座で開催。WEB『がんサポート』で「いきいきキレイ塾」連載。WEB『もっと知ってほしいがんと生活のこと』で「治療中でも元気に見えるメイクのコツ」http://www.cancernet.jp/seikatsu/appearance/を動画配信中。

乳房全摘でも"再建"
という道があることが心の支えに

2005年9月に、精密検査の結果が出て、悪性と言われたのが、乳がんの告知だったのですよね? そのときはどんな状況だったのでしょうか?

そうなんです。医師から「(右の乳房に)良性でないものが見つかりました」と言われ、頭が真っ白になって「ガーン...!(癌)」というダジャレしか思い浮かびませんでした。

「私って死ぬの?」そう思ったとき、医師が「超早期ですから、がんを取れば治ります。でもがんの散らばっている範囲が広いので乳房を全摘することになると思います」と。

私は「超早期なのに、なぜ全摘になるの? 乳房を残す方法があるのに...なぜ?
少し残すより再建したほうがいいなんて、なぜ私にそんな話をするの...」といろいろな思いが錯綜して混乱していました。

すると、医師の「治るから大丈夫ですよ」という言葉が耳に入り、「本当なんだ、私はがんなんだ」と涙が堰を切ったように出始めました。視界から色がなくなり、どのように自宅まで帰ったか覚えていません。

そのあとは、どのように気持ちを立て直したのですか?

立ち直れたのは、「取れば治る」という医師の言葉でした。乳房を失うのはとても悲しいことだけれど、「そうだ!乳房再建という方法があるんだ!再建すれば、乳房を取り戻せる」と思ったんです。

つらい抗がん剤治療を決断できたわけ

いきなり乳がんを告知され、乳房を全摘すると言われた女性にとって、乳房再建という治療があることが救いになったのですね。

はい。そのために私が望む乳房再建法ができる病院に転院しました。がんの手術と同時に、乳房再建手術も受けられる、乳房同時再建術を選択。無事、手術は終わり退院できました。

ところが、退院後、術後の病理結果を病院に聞きに行くと、乳腺からがんがしみ出ている(浸潤)箇所が多数あることがわかり、「抗がん剤と分子標的薬、ホルモン剤を行ったほうがよい」という医師からの説明でした。

奈落の底に落とされたような気持ちでした。女性ホルモンを止める治療はイヤでしたし、吐き気と脱毛に私は本当に耐えられるのか自信がありませんでした...。自分で車を運転しての帰途、外の景色は落ち葉、BGMにバンボレロが流れて、胸が張り裂けそうでした。2週間は、医師の言葉が受け入れられませんでした。

それでも乗り越えて、つらい治療の選択をできたのは、なぜだったのでしょうか?

ある意味、がん告知よりも、抗がん剤治療をしなければならいことのショックは大きかった...。

でも、医師が提示してくれたいろいろな私の乳がんのデータを見て、勉強すると、抗がん剤などの薬物治療をしないと、再発するリスクが高いことがわかりました。「これは...早く治療しないとまずいんだ...」

苦しかったけれど、自分で決めました。2週間かかりましたが、悩んで納得して自分で決断したことが、そのあとの治療と向き合うには必要なことだったんだと思います。

夫は、いつも私の話をただただ聞いてくれて、自分の意見を押し付けることもなく、なかばサンドバック状態。最初の告知のときも、「死なずにすむならよかった...」と。手術の成功も純粋に喜んでくれていました。家族の存在は大きいです。

治療を乗り越えられたのは美容の力でした

脱毛など、抗がん剤のつらい副作用の対処法として、山崎さんはどんなことをなさったのでしょうか?

私が抗がん剤治療の前に、最初にしたことは、おしゃれなウイッグを買うことでした。治療中はずっと寝込んでいるわけではなく、元気なときは普通の女性として生活をしたい。普通に外出をして人に会って、仕事もしたい。
「私=がん、じゃない」

そのためには、自分に似合う素敵なウイッグが必要でした。デパートをはしごして、奮発して40数万円でウイッグを2個購入。ウイッグは、友人のヘアデザイナーがかわいくカットしてくれました。帽子もかわいいものを買いました。
「脱毛、ドンと来い!」

そのころ、リアルタイムで女性誌に乳がん体験を連載されていて、常に前向きに治療に向かう山崎さんの姿は、みんなを勇気づけていました。当時、がん告知されたばかりの私も、夫と読んで元気をもらっていました。

ありがとうございます。でも実際、脱毛した自分にウイッグをつけて最初はよかったのですが、だんだん似合わなくなって...。抗がん剤の副作用で、肌が黒ずんで、眉もまつ毛も抜けた顔は、まさに病人でした。

「これではダメだ...」と思った後、「そうだ!私は美容ジャーナリストだ。元気に見えるメイクのコツを知っている!」と気づいたんです(笑)。

そこで、くすんだ黒っぽい肌をコントロールカラーで調整、眉を描き、まつ毛の代わりにアイラインとアイシャドウでカバー、チークを入れて、仕上げはウイッグです。
(⇒山崎多賀子さんの元気に見えるメイクの技は、こちらでもご紹介しています。)

すると、外出先で会った知人に「最近、きれいになったね」と言われ、「私はヨッシャ!これで大丈夫。がん治療を乗り越えられる!」と、やる気スイッチがオンになりました。

私は、メイクアップアーティストではありませんが、美容の取材をしていくなかで、元気に見せるメイク理論は知っていました。

そのメイク理論に基づいて、メイクでこれならいけると思える自分に変身し、社会に出て行けました。

外見に自信がないと、自分自身にも自信がもてなくなります。人に外見がどう見られるかがどれほど大切か、身に沁みました。

その経験から、「抗がん剤などがん治療の副作用に苦しむ人たちを支えたい」という気持ちで、山崎さんは全国でメイクセミナーを行っていらっしゃいますね。

美容をやってきて本当によかったと思っています。苦しい、つらいことも多い乳がんでしたが、自分のこれまで行ってきた仕事が、こんな形でがんで苦しむ方々の力になるなら...。今はたくさんの患者さんから幸せをいただいています。

山崎多賀子さんが全国のメイクセミナーで行っている治療中のメイクの技や患者さんの反応については、次回、後編でお伝えします。

後編はこちら