定例研究会レポート

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女の服を着る男たち・男の服を着る女たち
--中国とフランスの異性装の歴史にみる乳房観
2008年10月18日

女の服を着る男たち・男の服を着る女たち

2008年10月18日 (株)ワコール本社ビル2階会議室

■問題提起 
男の服・女の服を踏み越えるのはタブー? それとも快感?
オーガナイザー 実川元子
運営委員 + フリーランスライター・翻訳家

■男の乳房がふくらむとき――中国乳房文化ノート
武田雅哉
北海道大学大学院文学研究科 教授

■男装は戦略か?
―フランスの女流作家サンド、コレットから現代の女性まで
高岡尚子
奈良女子大学文学部 准教授

■パネルディスカッション
オーガナイザー 実川元子

■定例研究会レポート
フリーランスライター/翻訳家
乳房文化研究会 運営委員
オルガナイザー 実川 元子 

拙訳書『巨乳はうらやましいか?』(早川書房刊)で、異性装の男性が「本当の女になった」気分になるのが、ブラジャーをつけたとき、もしくは整形手術を受けて人工乳房を入れたときだ、とインタビューに答える箇所があった。反対に自分が男性だと感じていた元女性は、乳房を切除するまで自分が本当に男になった気がしなかった、と語る。「異性装者たちは、乳房が女性性の本質部分を象徴するものであると信じている」と著者は言う。
 翻訳しているとき、男装、女装を問わず異性装者たちが乳房をどうとらえているかが知りたくなった。そして出会ったのが『楊貴妃になりたかった男たち―<衣服の妖怪>の文化誌』(武田雅哉氏著・講談社刊)だ。中国では男装・女装にかける必然と情熱が、歴史さえも変えてきたことを知り、衝撃を受けた。それなら中国人の異性装者は、乳房をどう考えてきたのだろう? それが本書の著者である武田氏に、講演をお願いしたきっかけである。
また『兵士になった女性たち―近世ヨーロッパにおける異性装の伝統』(ルドルフ・M・デッカー/ロッテ・C・ファン・ドゥ・ボル 法政大学出版局)と『ジョルジュ・サンドはなぜ男装をしたか』(池田孝江著 平凡社刊)を読み、ヨーロッパで生きていくために男装せざるをえなかった女性の歴史があることを知った。ジョルジュ・サンドの研究者である高岡尚子氏には、ものを書くために男のふりをせざるをえない、もしくは理由は複雑だが男装する女性作家たちがいる、という話を以前から聞いて興味を抱いていたので、フランスの女性作家たちの男装についてお話いただくようお願いした。
異性装は非常に複雑で、広い分野にわたる考察が必要なテーマである。地域によっても異性装のとらえ方はちがうし、歴史的に見ていくほど解き明かすのは困難を感じる。だが、講師のお二人の先生方が、「中国」と「フランス」と地域をしぼり、時代背景をからめて考察してくださったおかげで、異性装の一つの断面がかなり明瞭に浮かび上がったのではないだろうか。ときにはキワモノ扱いされるテーマだろうが、キワモノのところに立ってはじめてはっきり見えてくるものがある。お二人の講演を聞いて、あらためて「女性にとって、男性にとって、乳房とは何か?」を考える手がかりを得たように思う。

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