■ 講演
江戸の乳と子どもの「いのち」
沢山 美果子先生
(岡山大学大学院 社会文化学研究科 客員研究員)
家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの~
竹信 三恵子先生
(和光大学 現代人間学部現代社会学科 教授)
■ パネルディスカッション
・コーディネータ :川添 裕子 運営委員
(松蔭大学 コミュニケーション文化学部 教授)
・パネリスト:沢山先生、竹信先生、
有本 尚央先生(甲南女子大学 人間科学部文化社会学科 講師)
近世から現代までの日本の授乳・育児事情について学び、いのちをつなぐ営みとしての授乳の意味、現代社会における授乳の位置づけや授乳・育児を含む家事労働に関する現代社会の問題点を考える研究会を開催しました。
まず、『江戸の乳とこどもの「いのち」』というテーマで沢山美果子先生に講演いただきました。江戸時代は母と子の命が非常にもろく、5歳までの幼児の死亡率が20~25%、母親の死亡率も20%を超えていたそうで、母親一人で子育てするということが難しい状況があったため、いのちをつなぐためのネットワークが不可欠だったそうです。たとえば、藩では貧しい農民たちに赤子養育手当や「乳泉散」という催乳薬を配布して子育てを支援したり、上級武士は農村女性から乳を徴収したり、「乳持ち奉公」という授乳専門の女性を雇用していたそうです。また、昔の人は、子どもに長く授乳していると妊娠しないことを経験的に知っていたので、授乳を出生コントロールに使い、農村では子どもが増えすぎないように長く授乳していたり、逆に上級武士では、「乳持ち奉公」を雇って母親自身は授乳をせずに、より沢山の子どもを出産していたそうです。江戸時代の子育ての基本は失われやすい子どものいのちを守ることが一番大事で、そのために人的なネットワークが非常に発展していたそうです。ところが、明治になって性別役割分担の近代家族が登場し、母性という考えが意図的に浸透していたった結果、子どもを育てるのは母親の役割という考えが植えつけられ、さらには昭和になって三歳児神話という三歳までは母の手で育てるべきという考えが強くなり、厚生省が「母乳哺育推進策」を打出して母乳哺育が強調されるようになり、子育てのネットワークがだんだん切断され母親一人の手に子育てが委ねられることになってきたそうです。実は「母乳」という言葉は、明治以降に登場した言葉であり、母親が一人で子育てするという考えは、歴史の中では、ごく最近の事であることが印象に残りました。