定例研究会レポート

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『文学と乳房』
~日本と中国、中世から現代までの文学作品に乳房は誰のものとして描かれているのか?~
2020年2月1日(土)

『文学と乳房』

■講演テーマ・講師
乳房は誰のものか
 ―『源氏物語』に描かれた乳母、母、父、子
   それぞれにとっての乳房から権力構造と家族関係を読み解く
 木村 朗子 先生
 (津田塾大学 学芸学部 多文化・国際協力学科 教授)

恋する乙女の胸のうち
 ―中国女性の乳房と足が解かれたとき理想の体型とバストの心理 
 濱田 麻矢 先生
 (神戸大学大学院 人文学研究科 教授)

にせもののおっぱい ほんもののおっぱい
 ―日本近現代文学に描かれた乳房
 藤木 直実 先生
 (日本女子大学 文学部 日本文学科 講師)

■パネルディスカッション
コーディネーター :実川 元子 運営委員
          (フリランスライター・翻訳家)
パネリスト: 木村先生、濱田先生、藤木先生
       


日本と中国の文学作品で「乳房」はどのように表現されてきたか。乳房をめぐる性愛、授乳、美醜、老若の表現を読み解くことで、父—母—乳母—子の関係や社会の権力構造を考える研究会を開催しました。

まず、『乳房は誰のものか』というテーマで源氏物語に描かれた平安時代の乳房をとりまく権力構造や家族関係について木村朗子先生に講演いただきました。古典物語の中で乳房があらわれるのは、妊娠が発覚する場面や乳母がお乳をやるシーンであること、その乳母の存在が、平安時代独特の権力構造や家族関係を表していることをお話いただきました。当時は正妻格にたくさん子どもを産んでもらわないといけない時代で、常に妊娠体制に入っているために、お乳をあげるのは乳母というように役割分担していたこと、授乳や育児は下女がやることとして下品なイメージがあったこと、乳母の地位は低いが身分の高い人と感情的につながっている意味で、裏で権力を持つ場合もあったこと、本当に血のつながっている兄弟は、別々の乳母が育てているので、実際には接触が少なく、意外に仲は良くない。一緒に育って同じ乳を吸った「乳兄弟」の方が仲は良く、主従関係に強い絆が生まれるといった話をしていただきました。平安時代は必ずしもおっぱいは母親のものではなく、すべて乳母のものであり、美しいおっぱいが描写されることはなかったということでした。

次に『恋する乙女の胸のうち』というテーマで中国文学における乳房や身体の表現と恋愛について濱田麻矢先生に講演いただきました。1920年代から40年代にかけて、女性の胸は平たい胸から丸い胸が美しいという価値観が植え付けられたこと、それまでは胸をサラシで巻いて膨らみを見せない束胸(そっきょう)が主流であったのが、小馬甲(シャオマージア)と呼ばれる下着が生まれたり、全省女子の束胸を一斉に禁止する法律や取り締まりなどの「天乳運動」が起こったり、胸だけでなく、纏足の禁止や断髪などの身体改革が実施されたこと、そのような時代背景の中で、民国文学で胸がどのように表現されたのかをお話いただきました。代表的なものとして、茅盾(ぼうじゅん)小説のモダンガールが自分の意思で胸を強調する服を着ること、老舎(ろうしゃ)小説の年増の女性を表す「長い乳房」という表現、郁達夫(いくたっぷ)小説のバイセクシャルな胸、そして張愛玲(ちょうあいれい)の描くさまざまな胸などの紹介をしていただきました。また、胸の解放と自由恋愛、純情恋愛との関係についての先生の考察をお話いただき、身体が解放され、自由が増えた瞬間に攻撃される弱点も増えてしまうことや女性が自分の胸を自分で管理できるようになった時、肉体的欲望と精神的欲望が二分化されて見られてしまい、貞節な女性と淫乱な女性にすぐ分けられてしまう、そうでないことを理解されるには、まだまだ時間がかかるということをお話いただきました。

次に『にせもののおっぱい ほんもののおっぱい』というテーマで日本近現代文学に描かれた乳房について藤木直実先生に講演いただきました。芥川龍之介の『奉教人の死』や川上未映子の『乳と卵』『夏物語』、又吉直樹の『火花』で描かれている乳房や生理・出産・豊胸手術・巨乳の考察から身体の不随意性・牢獄性、母性イデオロギー、「生む」ことの暴力性、ジェンダー、LGBTに対する問題提議をしていただきました。

パネルディスカションでは、会場からいただいた質問をそれぞれの先生にお答えいただいた後、平安時代から現代までの恋愛論、ジェンダー論から身体加工、美容整形、未来のおっぱいといった話まで発展し、大変、楽しい研究会になりました。

(事務局長 岸本泰蔵)

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