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#インタビュー

若年性乳がんとは?
御舩美絵さんに伺いました。

2018.10.18

AYA世代という言葉をご存じでしょうか?AYA世代(adolescent and young adult;思春期・若年成人)とは一般的に15歳~39歳の若い世代のこと。この若いAYA世代の乳がんである若年性乳がんの実情と悩みが徐々に明らかになってきています。御舩美絵さんは、31歳のとき、結婚式2週間前に乳がんと診断されました。現在は若年性乳がん体験者として、同じ病気の女性たちの悩みと不安に向き合っています。ご自身の体験も踏まえ、若年性乳がんだからこその人生の選択について聞きました。

インタビュー・執筆/増田美加(女性医療ジャーナリスト・乳がんサバイバー)

御舩 美絵さん

みふねみえ/1978年生まれ、広島県出身。大学卒業後、出版社に勤務。2014年より東京を中心に活動する若年性乳がん患者支援団体「Pink Ring」代表。CNJ認定乳がん体験者コーディネーター。2010年、31歳のときに乳がんと診断され、手術、乳房再建、ホルモン治療を行う。現在は、「Pink Ring」を運営する傍ら、ライター経験と闘病体験を生かし、取材・執筆・講演など、がんの啓発活動にも取り組んでいる。
若年性乳がんサポートコミュニティ「Pink Ring」
http://www.pinkring.info/

乳がん発見のきっかけ...

Q1

増田

美絵さんが乳がんを告知されたのは、31歳。どうやって発見されたのか?そのときの状況はどうだったのかを教えてくださいますでしょうか?

当時、広島の新聞社で乳がんを取材し、「乳がんは自分で見つけられる数少ないがん」と聞いていたので、ときどき自分の胸をセルフチェックしていました。そんなある日、胸にゴリっと触るものがあって、「これって、しこりかな?」とドキッとしました。しばらくは「気のせいかも」と放っておきましたが、モヤモヤする気持ちをスッキリさせたいと決心して病院へ行ったんです。それが30歳のときでした。

病院では、マンモグラフィ、超音波、触診を経て、「乳腺症のようなものなので、出産して授乳したらなくなるでしょう。がんではありませんよ。若いし大丈夫」と医師に太鼓判を押されたのです。

安心して、仕事に没頭する日々でしたが、左胸のしこりはなくならず、徐々に大きくなっている気がして、ジーンと痛むことも。でも、病院の検査で異常なしだったという事実は大きく、再度病院へ行くことはありませんでした。当時の私は、検査や検診は100%だと思っていたのです。

そのころ、ちょうど結婚が決まり、母が私の胸のしこりを触って「気になるからもう一度、検査を受けてほしい」と言ったんです。普段、私に病院をすすめることをしない母から背中を押され、「もう1回病院に行こう」と思いました。私は、結婚後すぐにでも子どもがほしかったので、忙しかった新聞社の仕事も辞めていて時間の余裕ができたこともあって、病院を予約しました。

マンモグラフィの検査を受けたところ、「1年半前と変わっていませんね。大丈夫」と言われました。でもそのころは大きくゴリゴリしたものがあって痛みもあり、かなり気になっていたので納得できず、超音波でも診てもらうことに。すると思わず「えっ?」と声が出たほど、真っ黒で大きなものが画面に映っていました。
「これは大変なことになった」と思いました。すぐに細胞診(患部に針を刺して細胞を取り、がんかどうか確認する検査)をしたのですが、医師からは「良性の場合はこんなにしこりは硬くない」と言われました。でも、自分の若さとがん家系ではないことから、「きっと私は大丈夫だろう」と思い直し、ひとりで結果を聞きに行きました。けれども、予想に反して、結果は乳がんだったのです。

31歳、結婚式2週間前に乳がんを告知されて

Q2

増田

最初の検査から1年4か月後、細胞診の結果、31歳で乳がんと診断されたのですね。病院での医師の診断をくつがえして再受診することは、患者としてはとても難しく、勇気ある行動だったと思います。お母さまのおかげですね。乳がんを告知されたときは、どのような状況だったのでしょうか?

医師から「がんは5㎝ほどの大きさです」と言われ、乳房の全摘手術をすすめられて、愕然としました。「乳がんになっても、今は乳房温存手術で胸を失わなくてすむ」と取材で聞いていた私は、温存手術ができるものと思いこんでいました。「温存手術はできないのですか?」と聞きましたが、医師は「がんが大きすぎるので難しいです」と。

胸を失ってしまう...それは大きなショックでしたが、「これだけは聞かないと...」と思ったことがあります。それは、赤ちゃんを産めるのかということでした。医師から「がんになっても子どもを産んでいる人はいますよ」と言われ、それは唯一の希望でした。

結婚式を2週間後に控え、子どもを産んで家族を作って...という明るい未来を前に人生のシャッターをガシャン!と突然降ろされた気持ちでした。

病院を出た後、新居のキッチン道具を母と買いに行く約束をしていて、泣きながら母と台所用品を買ったのを覚えています。

婚約者とはその晩、会いました。彼は「大丈夫だからね。一緒にひとつひとつ向き合っていこう」と言ってくれました。でも結婚は彼と私だけの問題ではなく、彼の家族を巻き込むことになります。

でも、彼のご家族は私の乳がんのことを知っても「娘のように思っているからね」と言ってくれました。

不安は山のようにありました。生きられるのか...、子どもを産めるのか...、胸はどうなってしまうのか...。でも私は、両親や彼、彼の家族を悲しませたくないと思い、できるだけ平常心で日々の検査や結婚の準備をこなしていました。

治療する上で一番大事にしたことは子どもを望むこと...

Q3

増田

治療を進めるうえで、美絵さんが最も大切にしたことはなんだったのでしょうか?若い年代だからこそのつらさがあると思います。聞かせていただけますか?

乳がんと診断された後、手術が受けられる病院へ転院しました。以前から結婚後すぐに子どもを希望していたため、最も気になったのは、「子どもを望めるのか」ということでした。

主治医に相談すると、「治療後に妊娠を望むことは可能だけれど、それは再発を抑えるための薬の治療が終わる5年先になります。もしも、抗がん剤治療を受ければその副作用で閉経する可能性が30%~80%ある」ということでした。

「死にたくないし、胸を失いたくないし、子どももほしい...」。私は、失いたくないものだらけでした。

私に提示された治療の選択肢はふたつでした。ひとつ目は手術先行で乳房全摘手術。胸はすべて失うけれど、病理結果によっては、抗がん剤治療を省けるかもしれない。

ふたつ目は、術前化学療法(手術前の抗がん剤治療)をして、がんが小さくなれば乳房温存手術が可能になるかもしれない。ただ、抗がん剤の副作用で、治療後に閉経するリスクがあるということでした。

主治医からセカンドオピニオンをすすめられ、4人の専門医の話を聞きました。その結果、私の命と乳房と子ども、そのすべてを望むことはできないことがわかりました。でも自分が何を一番大事にしたいかを改めて考えてみました。

もちろん一番は、「これからも生きたい」。その上で一番大事にしたいのは、「治療後、自分の子どもを持ちたい」という気持ちでした。乳房はあきらめ、乳房全摘手術を受けて、その病理の結果によっては、抗がん剤治療をしないで済む可能性にかけることにしたのです。

治療を受けるにあたり主治医は、「あなたのこれからの人生にとって、子どもを持つか持たないかは大切なことです。将来、後悔しないようにしましょう」と私の意思を尊重し、様々な選択肢を提案してくれました。

まず「オンコタイプDX」という遺伝子検査で、私のがん治療における抗がん剤の有効性を調べ、そして抗がん剤治療が有効で、実際に行うようになったときには、抗がん剤による閉経の可能性と治療後の年齢を考えて、治療前に体外受精による受精卵を凍結保存することでした。

最初はよく理解できず、保険がきかないそれらの治療費の高額さにただ驚きましたが、選択肢を提案されたことは、とても大きなことでした。

私は悩んだ末、乳房全摘手術後、当時約47万円だった「オンコタイプDX」の遺伝子検査を受けました。その結果、抗がん剤治療を受けずに、そのかわりに5年間ホルモン治療を行う決断をしたのです。乳房は失ったけれど、子どもをもつ可能性をなるべく多く残した治療の選択でした。

がんになっても、次世代へ命をつなぎたい!

Q4

増田

ご主人は子どもをもつための治療法の選択にどのような気持ちだったのでしょうか?ホルモン療法は、抗がん剤よりも副作用が少ないと言われますが、ホルモン治療で生理が止まり、治療後も生理が戻らないことも考えられます。どのように気持ちを切り替え、治療に臨んだのですか?

最初、夫は、私の命へのリスクがあるならやめてほしいと言いました。夫婦で主治医に話を聞きに行き、背中を押してくれたのは主治医でした。その過程で、自分の命と子どもを天秤にかけられた気がして、複雑な気持ちにもなりました。でも、夫と何度も話をして、「3人家族になりたい、両親から命をもらい、次世代に命をつなぐことはとても素敵なこと。夫を父親にしてあげたかったし、私や夫の家族に孫を抱いてほしい」というのが、私と夫の決断でした。

2010年左乳房全摘手術を受け、2011年ホルモン療法を開始。2012年に、インプラント(人工乳房)での乳房再建をして、2013年に乳頭乳輪を作る手術を受けました。

治療中はさすがに落ち込み、殻に閉じこもって悩むこともありましたが、そんなとき母が「がんを強みにして生きていけばいいのよ。あなたならそれができるはず」と言ってくれました。

そのころの私は、乳がんになったことのマイナスばかり考えていましたが、母の言葉をきっかけに「あーそうか、顔を上げて生きていこう」と思えるようになりました。人生でつらいことはがんだけじゃない、いろいろあるはず。全ての経験は無駄ではなく、現実と向き合ってどう生きたいかを考え、自分の幸せを見つけていくことが大事なんだと気づきました。

2016年、ホルモン療法の5年間が終わりました。5年間飲んだ薬の殻はお守りがわりに今も取ってあります。しばらくすると、無事生理が戻って来て、夫と妊娠をめざすことができました。今、私のお腹の中で、新しい命がしっかりと生きています。

若年性乳がんという若いAYA世代のがんだからこその悩みや不安

Q5

増田

若年性乳がんという若いAYA世代のがんだからこそ、結婚、出産、育児、仕事など大切なライフイベントと闘病が重なり、特有の悩みがあると思います。医療者や社会がもっとこうだったら...と思うことはありますか?

私は、主治医が病状だけを見るのではなく、「将来子どもを持ちたい」という私のこれから先の人生にまで関心を示して、さまざまな選択肢を提案してくださったことにとても感謝しています。

病院では「患者さん」と呼ばれます。けれども、病院の外に出れば、個としての生活や人生があります。病気になった後も、患者の人生は続いていくのです。そのことを忘れないで治療にあたってくだされば嬉しく思います。

当時、患者会に行っても同じ世代の乳がん患者さんには出会えず、「若いから大丈夫」「若くていいわね」と言われることが多くありました。もちろん、励ますつもりの言葉とはわかっていますが、同じ悩みをもつ同世代と会って、悩みを共有したいという気持ちがありました。情報が欲しかったのです。

このような体験から、御舩美絵さんは、若年性乳がんの会の活動へと向かっていきます。次回、後編では、若年性乳がん患者支援につながったきっかけと、AYA世代のがん支援の現状を伺います。(増田美加/女性医療ジャーナリスト・乳がんサバイバー)

◆若年性乳がんサポートコミュニティ「Pink Ring」の活動はこちらから
http://www.pinkring.info/