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#インタビュー

サーファーガールたちに、乳がんのセルフチェックが身近になればうれしいです!

2019.03.14

すべての出来事には意味がある。永沢里佳

湘南サーファーとして活躍していた永沢里佳さん。初めて受けた検診で初期の乳がんが見つかり、サーフィンとの向き合い方、ピンクリボン活動の開始など、その後の彼女の人生は一転します。治療による心身の変化に対する不安や葛藤に悩みもがきながらも、手術後わずか1ヶ月でサーフィンに復帰した彼女は自身の気持ちとどう向き合い、道を切り開いていったのか、お話を伺いました。

Profile
永沢里佳さんのプロフィール写真

サーファー
ピンクリボン活動「smile wave」代表

永沢 里佳さん

東京生まれ。普段は介護福祉士として働き、休日はサーフィン、ヨガインストラクターとしても活動しています。
2012年 初めて受けた乳がん検診で乳がんが見つかり、精密検査を経て手術した結果、ステージⅠ期浸潤性乳管がんの特殊型である粘液がんと診断される。手術後、放射線治療を経て、現在、内服薬でのホルモン治療中。手術後、1ヶ月後にサーフィンの大会(ロングボード)に出場。早期発見の大切さを伝えるため、サーファーガールの交流の場であるビーチを中心に、自身が代表を務める「smile wave」というチームを率いて、ピンクリボン活動を継続中。
https://ameblo.jp/rico-wave/

検査結果後に驚いた
母からかけられた言葉

Question

乳がん検診を受けたきっかけは?

Answer

メディアで乳がんを目にする事が多くなり、当てはまる事柄が無かったのですが、もうすぐ誕生日だった事もあり一度がん検診を受けてみようと胃がん肺がん大腸がんと一緒に乳がん検診を受けました。

近所の病院で検診を受けましたが、その結果はやや曖昧なものでした。マンモグラフィーで石灰化が見つかり、悪性かもしれないし、そうじゃないかもしれないと言われ、様子を見ながら半年または1年後にもう一回検診を受けるか、すぐに白黒つけたいのなら大きな病院で精密検査を受けてもいいと、選択を委ねられました。帰宅後、母に相談し、2013年の春、大学病院で吸引式針生検という精密検査を受けることにしました。

当日、検査室に入ると、看護師さんなどのたくさんのスタッフがいらっしゃって、そんな大きな検査なのかと一気に恐怖心が沸いてきました。検査自体は1時間もかかってなかったと思いますが、麻酔が効いているので針を刺す痛みは感じないものの、血がたらーと垂れている感覚は伝わってきて、それも怖かったです。

その2週間後、検査結果を聞きに再び病院に足を運びました。診察室に入ると、先生は何も話さず、2〜3分ほどモニターを見ていて、そして、「残念ですが乳がんでした」と話を切り出されました。診断結果はステージ0期の非浸潤性乳管がん。手術してみないと浸潤やリンパ節転移の有無が分からないので、それによって治療方法が変わるかも知れないとの事でした。

吸引式針生検を受けてから、不安が募りインターネットで乳がんについて散々調べていたんです。だから、先生による診断結果や、手術・治療方法に関する説明を、冷静に聞けているつもりでした。でも、一通り説明を終えた先生に、何を質問していいのか分かりませんでした。たった一つ思いついた質問が、「ステージ0でも、抗がん剤治療は必要ですか?」。それだけ抗がん剤に対する不安が大きかったのだと思います。

※局所麻酔後、マンモグラフィを見ながら直径約4mm程度の針で腫瘍組織を吸引しながら採取する

Question

帰宅後、お母さまに報告されたのですか?

Answer

母には電話で報告しました。すごく泣き虫のイメージがあったのですが、一言「良かった」と言われました。取り乱すと思っていた母の意外な一言に、「何が良かったの?」と聞くと、「早くに見付けてもらえたんだもの。良かった」と。驚きましたが、今思えば、娘の不安を煽らないようにという、親心から出た言葉だったのだと思います。

でもそれから、夏に手術をするまでの間が大変でした。不安は大きくなる一方で、考え過ぎて何が1番良いのか分からなくなりました。私は乳がんについて、インターネットで検索することを一切止めました。いろんな情報が頭に入りすぎると、客観的な視点で治療方法などを決断できなくなると思ったんです。

夏に乳房を残す手術を受け、その結果ステージⅠ期の浸潤性乳管がんの特殊型である粘液がんであると診断されました。仕事は1ヶ月休職し、放射線治療を始めたのち、秋からホルモン療法も開始しました。現在は、内服薬のホルモン療法のみを続けています。

できたことができなくなる
悔しさからサーフィンに復帰

Question

手術後わずか1ヶ月で、サーフィンに復帰されています。

Answer

12年ぐらい前に、ボディボーダーからロングボードのサーファーに転身して、休日に湘南の海で波に乗る生活を送っていました。乳がんと診断されてから手術するまで、気分が乗らなくて回数は減ったものの、サーフィンは続けていたんです。海に入っているときだけは、病気のことを忘れて波に集中できたので。

1ヶ月でサーフィンに復帰したのは、乳がんによって、今までできたことができなくなるということが悔しかったからだと思います。サーフィンは波に乗るために、腹ばいになって水泳のクロールのように腕を回してボードを漕ぐという、パドリング動作をしなければいけません。手術によって、傷口が引っ張られて、それができなくなることが不安でした。だから手術したその日の夜に、腕を上げる練習をしていました。もちろん、傷口が開くので本来は安静にすべきですが、腕を閉じているのに脇に分厚い電話帳を何冊も入れているような不快感があり、きちんと腕が上げ下げできるのか、可動域を確認したかったんでしょうね(笑)。

退院後も、私は自宅のマンションで毎日トレーニングしていました。足腰の筋肉が落ちないように、歩く度に痛む胸を押さえながら1階から6階までの階段を往復したり、寝転んで上体を起こしたりする運動を、痛い痛いと叫びながら続けたり(笑)。左右の力のバランスが崩れないように、ダンベルで腕を鍛えるトレーニングも欠かしませんでした。

Question

海に入り復帰したときはいかがでしたか?

Answer

全然ダメ。板に乗ってパドリング動作をする段階で、もうバランスがずれちゃってスピードも出ませんでした。痛みをかばって重心がずれてしまうんです。少し慣れてパドルがいつもの感じに戻ってきたなと思っても、やはりバランスが崩れてボードから落ちて立てませんでした。ショックでした。

Question

そのショックな期間を乗り越えられた原動力は?

Answer

やはり、乳がんによって自分の可能性が奪われたくないという、悔しさに似た気持ちでしょうか。手術後、放射線治療を続けなから、私は10月の大会に申し込みました。期限がある目標を作ったんです。トレーニングを積んで、少しでも元の状態に戻そうという気力につながりました。

でも、大会の当日は波が高くて、棄権する選手が続出しました。私も乗れずに終わりましたが、目標を作って挑めたことはすごく意味のあることでした。真剣に物事にチャレンジするという気持ちが芽生えて、サーフィンとの向き合い方が変わったんです。再び目標を作るように、次の大会にも申し込んでいました。

手術後、サーフィンに復帰しようと思ってからブログを始めました。いつ再発や転移するか分からないし、もしかしたら私は死んじゃうかも知れないから記録を残したかったのと、それ以上に、乳がんの方の体験記は世の中にたくさんあるけど、いくら検索しても、乳がんになってサーファーに復帰したアスリートの記録がなかったんです。あとは、今後現れるかもしれない、同じような立場の女性に少しでも役に立てばいいなという思いで記録し始めました。

子供や男性が
乳がんについて知る時代に

Question

そうした思いから、永沢さんが続けていらっしゃる、乳がんの早期発見の大切さを啓発するピンクリボン活動にもつながっていくのでしょうか。

Answer

千葉で開催された2回目の大会に出場したときに、プロサーファーでもあるその大会の主催者がピンクリボン活動を推奨されていて。そうした姿勢に共感した私は大会後に、サーファーの女の子たちに向けた、ピンクリボン活動をビーチでやりたいことを彼女にお話ししました。自身の経験を通じて、「早期発見さえすれば、抗がん剤治療をやらなくて済むし、身体や金銭的な負担も少なくなり、サーフィンができる」ということを伝えたいと。すると、「ぜひやってやって!」とおっしゃってくださって。その1年後、私はその大会で、ピンクリボンのイベントブースに立っていました。

Question

具体的にはどんな活動を?

Answer

硬さや大きさが異なるいろんなタイプのしこりがある乳房の模型を作って、それを触ってもらいます。検診を勧めるというより、どの年代にも有効なセルフチェックを身近なものにしたいんです。月1回でもチェックするのは面倒だという若い女子もいるので、お風呂で、素手で「の」の字を描きながら胸を洗えば、チェックできるよということも伝えています。2㎝以内のしこりなら早期発見になるんだよと。

啓発活動は今年で5年目となります。
千葉、神奈川、静岡、愛知など各地のビーチスタイル誌HONEY、サーフィン誌BLUE.などが主催するイベント「ワンカリ」でもブースを出させて頂き、老若男女約200人の方々が足を運んで下さいました。また湘南エリア最大級の女性向けイベント「My BEACH」ではトークショーも開催させてもらえるまでになりました。

Question

この活動でやりがいを感じるのはどんな時でしょうか?

Answer

サーファーガールだけでなく、いろんな方がブースに立ち寄ってくださるのが、嬉しいですね。小学生の女の子を連れたお母さんが、「今のうちに触って覚えておきなさい」と言ってくださったり、ファミリーで立ち寄って、旦那さんも一緒に乳がんの説明を熱心に聞いてくれたりする。20代のカップルや、男性だけで訪れる方や海外の方々のお姿も年々増えています。乳がんに対する意識はもう女性だけのものではなくなっているように思います。

Question

最近のご自身の治療は?

Answer

今は定期的に通院しながら、ホルモン療法による内服薬を飲んでいます。それが5年ほど続いていて、今度の通院で止めるか継続するかを主治医と決める予定です。

実は、飲み始めて1週間後から頭痛が続き、2~3ヶ月後からホットフラッシュが現れました。2年ぐらい経ったときはうつ症状も現れて...。かろうじて仕事には行くのですが、休日は外出したくなくて、サーフィンにも行かなくなりました。ピンクリボンの活動もこんな状態で続けられるのか悩みました。そこで主催者の方に電話し、「すみません、私、今こんな状態になってしまって...」と事情を話すと、「無理しなくていいよ!」とおっしゃってくださった。でも、1回目の活動から手伝ってくれていた友人に、「本当にイベントを止めていいの?あの場所はあなたにとって大事な場所じゃないの?」と言われ、悩んだ末、フードを深く被って極力人を目を合わさなくて済むように会場に向かっていました。目の前の景色がまるでTVを観てるかのような感覚になっていましたが、会場に着くまでサーフィン友達がメールや電話ではげましてくれたり、会場に着くと主催者や友人が「良かった」とハグしてくれて、海に来れば「私は一人じゃないんだ」という気持ちに変わっていました。

その後、主治医に相談して安定剤を頂戴したんです。仲良くしてくださっている看護師さんに「お守りとして持っているだけでいいのよ」と言われ、本当に辛くなったら飲もうと思いました。結局一度も服用しませんでしたが、私の場合、持っているだけで安心して頑張れるようになったのか、少しずつ通常の暮らしに戻っていました。

Question

今後、やってみたいことは?

Answer

1人でも多くのサーファーガールたちに乳がんの早期発見についての大切さを伝えるべく、ピンクリボンの活動は継続していきたいですが、あと1回ぐらい試合にも出場したいですね!

乳がんになってからヨガを始めたのですが、今はインストラクターになり無料ビーチヨガレッスンをしています。乳がんに対する不安をヨガが助けてくれる事もあるので、内面から元気になりたい生徒さんが増えたら有料にして、その売り上げをsmile waveの活動資金に出来たらなと考えています。

インタビューを終えて

「自分の可能性を奪われたくない!」―――。
そんな悔しい気持ちから、乳がんの手術後わずか1カ月でサーファーに復帰された永沢さん。自分で目標を定めて立ち向かうことで、不安や辛い気持ちを少しだけ吹き飛ばすことができたとおっしゃいます。そんな自分を支えてくれたサーフィンの世界で、今度は乳がんの正しい知識を老若男女問わずに発信するという、使命のような新たな生きがいを見つけ、活動の場を広げていらっしゃることは立派だと思いました。乳がんになったからこそ彼女が社会に必要だと思ったこの地道な啓発活動は、サーファーガールたちに乳がんの正しい知識を与え、一人でも多くの早期発見につながることでしょう。