妄想本棚 第1回「テリーザ・メイ」
ブックディレクター・幅 允孝が「誰か」の本棚を激しく妄想。仮想本棚の中から何冊かを紹介します。
初めまして、BACHの幅と言います。僕はブックディレクターとして色々な図書館での選書を生業にしています(ワコールスタディホールもそのひとつです)。ただ、「本を選ぶ」といっても好きな本を持っていけばいいというものではありません。病院内ライブラリーだったら患者さん、企業図書館だったら働く人たちなど、読者となるかもしれない方々にインタビューを繰り返しながら、その場所に最も似つかわしい本を考えています。
ただ、今回の「妄想本棚」のコーナーは、いつもと少し違います。タイトルの通り誰かの家の書棚を想像し、その人はこんな本を読んでいるのではないか? いや、読んでいてほしい! という妄想でこしらえるエア・本棚なのです。
第1回目の「妄想本棚」の主は、先日英国首相の立場を辞したテリーザ・メイ元首相の本棚。彼女は国民投票で英国のEU離脱が決定した2016年の夏から保守党の党首としてイギリス史上2人目の女性首相となりますが、EU離脱の舵取りに失敗し、無念の降板をすることになりました。
実際は、欧州懐疑派だったものの国民投票では「残留」に1票投じた彼女が、EU離脱を牽引しなければならない立場になる難しさは外からの想像以上だったのでしょう。今年5月24日に行われた辞任会見を僕はちょうどイギリスのTVで視ていたのですが、馴れ合いを嫌う「氷の女王」といわれた彼女の涙腺が少しずつゆるみ、それを堪える表情がとても印象的だった。いや、なぜか美しいとすら感じてしまったので1人目の「妄想本棚」の主に選んだというわけです。
さて、まずメイ元首相の本棚に必要なのはブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という1冊だと僕は妄想します。ブレイディさんは、音楽好きが高じて1996年から英国の南端ブライトンで保育士をしながらモノ書きを続けるコラムニスト。文化から政治に至るまで、英国や日本の市井の人々の小さな息遣いを聴き取り、独特のリズムで語る文体には中毒性もあります。

最新刊の本書は、英国の「元・底辺中学校」に通う彼女の11歳の息子のスクールライフを描いたノンフィクションです。右か左かではなく上か下に社会が分断され、差別や格差が複雑に絡まりあった現在のイギリス社会。そんな中で息子の友人関係や世の中の流れについて、母として一緒に考えもがく現代英国版中学生日記という体の本なのですが、これに止まらない疾走感があるのです。
シンパシーとエンパシーの違い、W杯中の盆栽ソングとナショナリズム、労働者階級のプライドと愛。多様なアイデンティティが絡み合い結びつく世界の縮図である「元・底辺中学校」。ここに生きる人の息遣いをメイ元首相が少しでも想像できたら、色々な結果は少し違ったことになっていたかもしれません。同じくらいの子育てを日本でもしているお母さん方にもお勧めできる1冊ですね。
さて、もう1冊メイ元首相の本棚を推察するなら『Japan: The Cookbook』でしょうか? 意外にも趣味は料理でレシピ本を100冊以上持っているというメイ元首相。大学時代に知り合い24歳で結婚した最愛の夫にお皿を振る舞う機会がこれからは増えるのかもしれませんが、1型糖尿病と診断された彼女には低タンパク低脂肪の日本料理を積極的に摂ってもらいたいと個人的に思います。

日本の農村に30年暮らすナンシー・シングルトン・ハチスさんが紹介する400種以上の日本の料理レシピは、鮨やラーメンが代表だと思われがちな日本の家庭料理に注目するもの。竹材を用いた表紙も魅力的ですが、日本の自然の恵みを無理なく生かした「普通の味」が傷心のメイ元首相には沁みるのかもしれません。

幅允孝
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、動物園、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。最近の仕事として札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン、サンパウロ、ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。近年は本をリソースにした企画・編集の仕事も多く手掛け、JFLのサッカーチーム「奈良クラブ」のクリエイティブディレクターを務めている。早稲田大学文化構想学部、愛知県立芸術大学デザイン学部非常勤講師。
Instagram: @yoshitaka_haba

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