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妄想本棚 第2回「緒方貞子」

ブックディレクター・幅 允孝が「誰か」の本棚を激しく妄想。仮想本棚の中から何冊かを紹介します。

 誰かの家にある書物を妄想する「妄想本棚」の第2回目。今回は国連難民高等弁務官などを歴任し、2019年10月に92歳で亡くなった緒方貞子さんの本棚を妄想します。
 政治学を学び、1975年には女性国連行使第1号にもなった彼女。「150センチの巨人」と呼ばれた緒方さんは弁務官時代に並外れた交渉力と粘り強さでイラクやバルカン、アフリカ太湖地域、アフガンでの人道支援に力を注ぎました。1992年、内紛只中のボスニア・ヘルツェゴビナの最前線に防弾チョッキを着て現れ、サラエボへの道路封鎖問題を解決した姿を多くの日本人は誇らしく思ったはずです。まさに「現場主義」の人道主義者でした。
 そんな彼女の本棚にある本を想像した時、まず浮かんだのは『殴り合いの文化史』です。東南アジア地域を中心にした文化人類学研究者の樫永真佐夫が記したこの1冊。太古から現代に至るまで人間が抱え続けてきた暴力というものを多角的に捉える見方は、多くの紛争=人間の暴力を見続けてきた緒方さんにも多くの示唆を与えたはずです。

『殴り合いの文化史』『殴り合いの文化史』 樫永真佐夫 左右社
 そもそも「暴力」と聞けば、「なんと野蛮な」と思うでしょうが、樫永の視点が新鮮なのは直立二足歩行が可能になり両手が自由になって初めて動物は殴るという行為が可能になったという論から始発する点。つまり、拳で殴るというのは極めて人間的な行為なのです。さらにはその拳をシンボル化したり、その暴力を形式化しスポーツに落とし込んだりしたのも人間のみ。本書は、そんな拳で誰かを殴る行為を、矢吹丈やモハメド・アリ、鉄腕アトムや三島由紀夫、ドフトエフスキー『悪霊』に登場するスタヴローギンなど、あらゆる人をサンプルにしながら縦横無尽に語り尽くします。
 また、著者の樫永は自身でもボクシングをしている「リングに上がった人類学者」。殴る快楽と殴られる痛みについて、体を通じて知る者のみが到達できる地平を垣間見せてくれる点も「現場主義者」の緒方さんがシンパシーを感じる点でしょう。ちなみに、女性と拳についても幾つかのページが費やされており、1876年にN.Y.で行われたショーダンサー同士のボクシングマッチや、クリント・イーストウッド監督が女性ボクサーを描いた「ミリオン・ダラー・ベイビー」について、そして南海キャンディーズのしずちゃんによるロンドン五輪ボクシングへの挑戦なども詳しく書かれています。

 さて、次なる1冊は『昭和の怪物 七つの謎』ではいかがでしょう? 昭和史研究の第一人者である保坂正康が「戦争の目撃者たち」への取材をもとに歴史の闇に挑むこの本。東條英機、石原莞爾、吉田茂らに混じって、緒方さんの曽祖父である犬養毅の真実を解き明かすページもあるのです。五・一五事件によって海軍の青年将校たちに殺された当時の内閣総理大臣 犬養毅。そんな曽祖父の死を首相官邸という現場で目撃した孫で小説家の犬養道子の言葉を辿りながら、テロ決行者が英雄扱いされてしまった背景や、犬養毅の弱点について言及します。また、五・一五事件で犬養は襲撃犯に「話せばわかる」と言ったとされていますが、実は違う言葉を投げ掛けていたという推測も歴史好きの好奇心を掻き立てます。決して「話せばわかる」程の生易しい時代を生きていなかった犬養の精神は、ひょっとしたら緒方さんが引き受けたのかもしれません。
『昭和の怪物 七つの謎』『昭和の怪物 七つの謎』 保阪正康 講談社

 そして、最後は旧ユーゴスラヴィア・サラエボ出身の映画監督で「アンダーグラウンド」や「黒猫・白猫」で2度パルム・ドールも獲得しているエミール・クストリッツァによる初小説『夫婦の中のよそもの』。理不尽な戦争により、どんよりとした空気が漂うはずなのに、舞台のバルカン半島には破天荒でなぜかむやみに明るく哀しい登場人物たちが多数登場します。クストリッツァ映画と同じ感触です。彼の描く世界観の凄さはどんな悲劇的な状況でも人の生命力は存在し、それを駆使したり、使い損ねたりする人間の有り様をそのまま伝えるところ。理想主義だけで人道支援はできませんが、まずは人間の生きようとする力を見極める部分が緒方さんと重なってみえました。
『夫婦の中のよそもの』『夫婦の中のよそもの』 エミール・クストリッツァ(著)、田中未来(訳) 集英社


幅允孝

幅允孝
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、動物園、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。最近の仕事として札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン、サンパウロ、ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。近年は本をリソースにした企画・編集の仕事も多く手掛け、JFLのサッカーチーム「奈良クラブ」のクリエイティブディレクターを務めている。早稲田大学文化構想学部、愛知県立芸術大学デザイン学部非常勤講師。
Instagram: @yoshitaka_haba

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「妄想本棚」ブックディレクター・幅允孝さんが"誰か"の本棚を激しく妄想。仮想本棚の中から何冊かを紹介します。
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