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妄想本棚 第6回「レイチェル・カーソン」

ブックディレクター・幅 允孝さんが「誰か」の本棚を激しく妄想。仮想本棚の中から何冊かを紹介します。

 誰かの家にある本棚に並ぶ本を勝手に妄想してしまおうという「妄想本棚」の第6回目。今回とりあげるのは、『沈黙の春』を通して世界で最初に環境問題に警鐘を鳴らした女性海洋生物学者レイチェル・カーソンです。
 1907年にアメリカのペンシルベニア州で生まれた彼女は、アメリカ合衆国魚類野生生物局にて水産生物学を研究した人。農薬で利用されている化学薬品の危険性を訴えた『沈黙の春』(1962年)は、元々『生と死の妙薬−自然均衡の破壊者〈化学薬品〉』というタイトルで出版されていたことから分かるよう、農薬の残留性や食物連鎖による生物濃縮がもたらす生態系への影響を訴えた1冊です(元の題名ならベストセラーは難しかった気がします...)。この本が世界的ベストセラーになったことが、国連人間環境会議(1972年)の開催やアースデイ設定の契機となり、環境保護活動へ人々を駆り立てる大きなきっかけとなりました。
 そんなカーソンがいま生きているとしたら、より深刻な環境破壊を止められない現状を間違いなく嘆くでしょう。が、一方でこんな本で新しい人類の在り方を考えるのかもしれません。
 『人新世の「資本論」』は、ドイツのフンボルト大学で経済思想の研究をした斎藤幸平が記した晩期マルクスの思索をめぐる本。「人新世」とは耳慣れないかもしれませんが、人間の経済活動の痕跡が地球の表面を覆い尽くし、環境を壊し続ける時代のこと。ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て新しいフェイズに突入してしまった地球の新たな年代を「人新世」と呼んだのです。

20210303_mousou6_1.jpg 『人新世の「資本論」 』斎藤 幸平 集英社

 そんな環境危機の時代になぜマルクス? と思われるかもしれませんが、実は彼が晩年まで続けた研究では、資本と環境の問題について考えていたのです。マルクスの『資本論』では、「資本主義がもたらす近代化が、最終的には人類の解放をもたらす」と考え、「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」を生み出しました。ところが、その結果としては思想を大きく歪めたスターリン主義という怪物を生み出すことに。
 一方で、マルクス本人は地球環境という限りある資本を維持するため人間と自然の循環的な相互作用を重視し、後期では「自然的物質代謝」を唱えるようになりました。人間の労働力も自然も徹底的に利用し、価値と資本の無限増殖を強いる資本主義の限界を訴えるようになっていたのです。意外ですよね。
 本書で斎藤は、SDGsやグリーン・ニューディールなどの延命政策では残念ながら気候変動を止めることはできず、根元から人の生き方を変えるためには資本主義の道から離れた脱成長を覚悟するしかない。そして、資本主義でもなく社会主義でもない成熟社会を実現するためにマルクスのいう「コモン」という概念を実装した第3の道を探るべきなのではないかと訴えます。気候危機と人の世界の新しい在り様を探求する2020年代最大の意欲作、カーソンも大いに刺激を受けるはずです。

 続くのはJ.ロックストロームの『小さな地球の大きな世界 プラネタリー・バウンダリーと持続可能な開発』。プラネタリー・バウンダリーとは、自然本来の回復力(レジリエンス)を超えた負荷を「地球の限界」と定義した概念。2009年に提唱したこの考え方はSDGsの成立にも大きな影響を与えており、「気候変動」、「生物多様性の損失」、「窒素・リン循環」、「海洋酸性化」など9つの項目の閾値を見極めることで「人類の安全な活動範囲」を定めようとしたものです。

20210303_mousou6_2.jpg 『小さな地球の大きな世界』丸善出版 J.ロックストローム、M.クルム (著) 武内 和彦、石井 菜穂子(監修)谷 淳也、森 秀行ほか(訳)

 本書がなぜ良いかというと、SDG sの基礎が解るだけでなく、挟み込まれるM.クルムが撮った地球で暮らす我々の写真作品が素晴らしく視覚的にも楽しめる点です。カーソンが最晩年に記した未完の『センス・オブ・ワンダー』も写真を添えてビジュアルブック形式にしていますが、シリアスな問題を少しだけ軽やかにして読み易くしてくれる本はずっと本棚の片隅に居続けてくれます。

 そして、最後に紹介する本が手塚治虫の『ガラスの地球を救え』。生涯を漫画とアニメづくりに捧げた手塚の創作の根っこには、いつも自然と生命への畏敬がありました。『火の鳥』や『鉄腕アトム』に込められたメッセージを自ら語り、人間の欲望によって子供たちに託すべく自然環境が損なわれていくことの危機感を語った最後のエッセイは、まさに現代を予言する1冊だったと言えるでしょう。環境に関する問題を、誰にでも届く領域に染み込ませたという意味でも、カーソンの棚に彼の本は似つかわしいと思います。

20210303_mousou6_3.jpg 『ガラスの地球を救え』手塚 治虫 光文社


幅允孝

幅允孝
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、動物園、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。最近の仕事として札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン、サンパウロ、ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。近年は本をリソースにした企画・編集の仕事も多く手掛け、JFLのサッカーチーム「奈良クラブ」のクリエイティブディレクターを務めている。早稲田大学文化構想学部、愛知県立芸術大学デザイン学部非常勤講師。
Instagram: @yoshitaka_haba

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