WACOAL STUDYHALL KYOTO

妄想本棚 第8回「石井桃子」

ブックディレクター・幅 允孝さんが「誰か」の本棚を激しく妄想。仮想本棚の中から何冊かを紹介します。

 「こども本の森 中之島」や「こども本の森 遠野」など、子供たちのための本の場所をつくる仕事が続いています。そんなとき、いつも頭の片隅に思い浮かべる人が、児童文学者の石井桃子さんです。『ノンちゃん雲に乗る』など、ずっと読み継がれる児童文学作品を残しただけでなく、A.A.ミルンや「うさこちゃん」の翻訳者として、また自宅の一部を開放した「かつら文庫」の活動を通じ子供と本の距離を縮める活動を続けた先人として、今回は彼女の本棚を妄想したいと思います。
 彼女が今も生きていたら、こんな本を読んでいただろうというこの妄想。まず最初に思い浮かんだのは、意外かもしれませんが『よつばと!』というマンガ作品です。この作品は、ちょっと変わった5歳の女の子 よつばちゃんが日々体験する小さな驚きや感動を伝える「日常系」と呼ばれる作品。そして、子供の無垢を丁寧にすくいとり、(時代や流行とは関係なく)多くの元子供に伝えてくれる大名作です。子供たちの純真さについて生涯考えた石井さんなら、『よつばと!』の世界観にも浸ってくれる気がしたのです。

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『よつばと!』あずまきよひこ ‎ KADOKAWA

 作者のあずまきよひこさんは、驚くほどの緻密さで線を重ねていくため数年に1度しか新刊を出せないペースで創作を続けています。最新15巻でも、浜辺での石拾いのシーンは圧巻で見開きいっぱいの石を全て細やかに手描きで表現。その徹底した細部が、不思議な話にリアリティを与えます。というのも、実はよつばと保護者である「とーちゃん」に血縁関係はありません。しかも、その事実も作中ではほんの少しだけ触れる程度。にも関わらず、その謎解きを周囲の登場人物も、読者も求めず、コタツを出したり、髪の毛を切りに行ったりする日常の楽しさと優しさにのめりこみ、ランドセルを買いに行くストーリーでは思わず目頭を熱く...。子供の無垢にとことん向き合った作品の潔さと、(血のつながりを超えて)子供たちに贈る純真さへの祝福が目一杯つまった作品をぜひ手に取ってみてください。
 続いてイメージした本は高橋源一郎さんの短編小説の表題作『さよならクリストファー・ロビン』。1933年のクリスマス・イヴに西園寺公一から犬養道子に贈られた『プー横丁にたった家』の原書を見て「くまのプーさん」の存在を初めて知った石井さんは、そのシリーズの翻訳に取り掛かります。松岡享子さんをして「プーさんの声が聞こえていて、その通りに訳している特別な翻訳」と言わしめるその名調子の訳も素晴らしいのですが、その登場人物たちを自身の小説世界へ招待した高橋版「クマのプーさん」も傑作。物語の中にいる登場人物たちが、現実世界へどれだけ関われるか? を問い掛けるこの作品は、世界が抱える不安に対して作家が実際に何をもたらすことができるのかという挑戦でもあります。イーヨーが、ティガーが、クリストファー・ロビンが、プーが、世界の虚無に飲み込まれそうになった時にどう振る舞うのか? こちらも読後に透明な風を感じるイノセントストーリーです。

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『さよならクリストファー・ロビン』高橋源一郎 新潮社

 最後に想像するのは、アルベルト・マングェル『図書館 愛書家の楽園』という1冊です。この本は古今東西、世界中の図書館を見渡しながら、人はなぜ本を集め、収蔵し、読み継いでいくのか? を考察した1冊。石井さんは1958年に東京の荻窪にあった自宅の一部を解放して「かつら文庫」を創設。「本を読みにいらっしゃい」と立札をつくって通りがかりの子供達を招き入れるようになりました。マングェルは人と本の多様な関係を示しながら本の読み方の自由も伝える人ですが、以前「かつら文庫」に訪れた時にも子供たちの感受性を大切にした自由な読書環境を感じました。優しく柔らかく、最初の本との出会いをつくろうとした石井さん。その想いは、今でも色々な場所で受け継がれているのだと思います。

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『図書館 愛書家の楽園』アルベルト・マンゲル(著) 野中 邦子 (訳) 白水社


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幅允孝
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、動物園、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。最近の仕事として札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン、サンパウロ、ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。近年は本をリソースにした企画・編集の仕事も多く手掛け、JFLのサッカーチーム「奈良クラブ」のクリエイティブディレクターを務めている。早稲田大学文化構想学部、愛知県立芸術大学デザイン学部非常勤講師。
Instagram: @yoshitaka_haba

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「妄想本棚」ブックディレクター・幅允孝が"誰か"の本棚を激しく妄想。仮想本棚の中から何冊かを紹介します。
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