商品開発ストーリー:2人の男性のこだわりから、2度生まれた「ベビー研究所」

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綿100%神話への挑戦

ワコールがベビーウェアの開発に取り組んだのは1995年。最初に担当したのはファミリーウェア営業部・商品企画課の藤田日義でした。「最近は少しずつ変わってきていますが、当時ベビーウェアは綿100%以外あり得ないという状況でした。ただ、婦人インナーの経験から、綿以外にも すぐれた素材があることはわかっていましたし、縫製などの技術によって品質、機能、肌ざわりなど様々な点で綿100%を上回るベビーウェアは作れると確信していました」(藤田)

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商品は好評だったが販売中止に

商品コンセプトは"赤ちゃんの呼吸や動きを妨げない肌着"。婦人インナーで実績のあった立体成型を採用し、縫い目がなく伸縮性にすぐれた肌着を作ろうとしました。「しかし実際に作ってみると、これが難しい。赤ちゃんはおなかが突き出ているので、その部分を少しふくらませたいのですが、立体成型の編み機はすぐに位置がずれてしまう。布の断裁も普通は100枚単位ですが、伸縮性を高めたために、まとめて切るとずれてしまう。編むのも切るのも1枚ずつになり、ほとんど手づくりのようなものになりました」(藤田)。1997年秋に「ワコールベビー」の商品名で発売を開始。品質最優先で作り上げたことからご好評をいただき、病院でも販売されました。ところが2007年、作ってもらっていた工場で生産ができなくなりました。立体成型でベビーウェアを作れる編み機は他になく、やむなく販売中止となったのです。

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販売再開を図るも、編み機がない

販売中止の後もたくさんのお客様から「なぜ作らないのか」「作ってほしい」という声をいただいていました。このご要望に応えたいと考えたのが、ファミリーウェア営業部・商品企画課マネージャー(現職)の尼口賢でした。「販売中止から3年経ち、編み機も進化して、作れるのではないかと思ったのです。編み機の会社に打診してみると何社かからできるという声をいただいたので、サンプルを作ってもらいましたが、サイズが大きくて赤ちゃんに合わない。どの会社にも大人用インナーの編み機かソックスの編み機しかなく、ベビーウェアに合うサイズの編み機はなかったんです。赤ちゃんにフィットするものでなければ作っても仕方ありません。再度編み機を探すことにしました」(尼口)。まず、以前作っていた工場を訪ねましたが、機械は廃棄されていました。日本全国を探し、ついには中国まで出向きましたが、編み機は見つかりませんでした。

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かつての編み機との再会

なかばあきらめていたところに、「あの会社なら機械があるかもしれない」という情報が入りました。行ってみると、以前使っていたのと同じ機械がありました。「その会社の社長は編み機を集めるのが好きな方。偶然同じ編み機を買い取って保存されていたんです。幸運なことに、かつて編み機を動かしていた技術者もその会社に勤務されていました。すぐに製造をお願いしました」(尼口)。ところが返答は「ノー」。ベビーウェアは大人用より生地を薄くしなければならず、一定のサイズで作るのは容易ではないとのこと。技術者も職人気質の人で「自分が納得できる品質のものしか作らない」と言います。「でも、ここまで来たら引き下がれなかったんです」(尼口)。何度も通い、ようやくサンプルを作ってもらえることに。すると今度は編み機が上手く動きません。技術者の方と編み機を調整し、使う糸を工夫し、何度も試作。求める品質のものが作れるようになったのは5ヵ月後のことでした。そして2010年、かつての「ワコールベビー」の中でも赤ちゃんの動きにこだわったシリーズを「ベビー研究所」として販売を再開することに決定。「お客様の声に応えたい」という強い思いが希少な編み機との再会につながり、「ベビー研究所」の復活を実現させました。

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