定例研究会レポート

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乳房の表象
~乳房と乳首をめぐるタブーと礼賛~
2020年10月24日(土)

乳房の表象

■講演テーマ・講師
人魚の乳房文化論
 ―いかにして貝殻がブラと化すにいたったか
 向後 恵里子 先生
 (明星大学 人文学部 日本文化学科 准教授)

ロシア革命と乳房
 ―乳房と聖母のイメージ 
 越野 剛 先生
 (東京大学文学部 大学院人文社会系研究科 助教)

乳首はなぜ描かれる/描かれない?
 ―古代から近代の日本文化に見る
 田中 貴子 先生
 (甲南大学 文学部 日本語日本文学科 教授)

■パネルディスカッション
コーディネーター :実川 元子 運営委員
          (フリランスライター・翻訳家)
パネリスト: 向後先生、越野先生、田中先生

古代から現代まで、絵画や映画での乳房の表現には時代や文化の影響を強く受けてきました。乳房を美や生命力の象徴だとして裸で表現する文化がある一方で、淫らだとタブー視して丸みさえも見せない文化もあります。古代から世界各地の神話に登場する人魚(マーメイド)は、いつからか貝殻やブラジャーをつけるようになりました。そこにはどんな変化があったのか、ロシアの絵画で描かれる聖母と乳母は、乳房の表現にどんな違いがあるのか、男性も含めて乳首は日本でどう描かれてきたのか。乳房や乳首が描かれる/描かれないとき、そこにどんな力が働いているのかを検証することをテーマに研究会を開催しました。

まず、『人魚の乳房文化論』というテーマで向後恵里子先生に講演いただきました。日本の近代から現代において人魚の乳房がどのように描かれたのか、隠すか隠さないか、その意図は何なのかといったお話をしていただきました。江戸時代、西洋の書物から写された「人魚図」は怪物的なもので乳房が描かれたものが少なかったが、明治・大正期に理想化された裸体として若い女性の姿となり、徐々にエロティシズムが加わり、乳房を隠さないといけないのではないかという社会的なコードが働くようになってきたこと、そのコードが「髪ブラ」から「貝殻ブラ」に進化したこと、一方的に人魚=女性に対して向けられていたまなざしが、女性自身が衣装や下着などのファッションに人魚的要素を取り入れ、女性のものになってきたことを映画や『人形姫』『ピーター・パン』などの児童書の挿絵を紹介しながら説明していただきました。

次に『ロシア革命と乳房』というテーマで越野剛先生に講演いただきました。ロシア文化の特徴として「母性崇拝」「20世紀の社会主義経験」「代理の母親の重要性」を土台に乳房を取り上げることにどのような意味があるのかをお話いただきました。ロシアは宗教的に聖母マリア崇拝の強い地域であり、イコンと呼ばれる聖像画、とくに聖母子像が崇拝されていたこと、19世紀、戦争や革命の中で近代的な国民国家のイメージとして「母親」像が重視されるようになったこと、実母よりも「ニャーニャー」と呼ばれる乳母の役割が重要であったこと、社会主義体制の中で「母なるロシア」の女神像が象徴になったこと、乳牛が乳母のイメージとつながり、母親代わり牝牛を犠牲にすることで社会主義が実現するといった物語が多く作られたことをプーシキンやプラトーノフなどの作家の話や戦争映画の話を紹介しながら説明いただきました。ロシアにおいて血のつながっていない代理の母親や乳牛の役割が血縁によらない社会主義的な共同体をつくる上で欠かせないものであったということを感じました。

最後に『乳首はなぜ描かれる/描かれない?』というテーマで田中貴子先生に講演いただきました。乳房ではなく乳首に特化してお話をしていただきました。日本で乳房や乳首がエロスの対象になるのか/ならないのか、韓国の春画の話、仏像の乳首の話、「手ブラ」の話、男性向け雑誌で乳首を見せる/見せない問題、オトコの乳首問題など乳首をキーワードに様々な話をしていただき、話題提供をしていただきました。

パネルディスカションでは実川元子運営委員の進行のもと、「隠す」という行為と無関心の状態の関係や授乳の問題、母性の問題とエロスの問題を分けて考えてしまいがちなこと、男性の乳首の見せ方と地域性・時代性との関係、男性の乳がんのことなどを議論しました。

今回はコロナ感染症拡大の影響で会場の参加者を限定し、オンラインとのハイブリッド開催となり、会場の音声が二重になる問題はありましたが、大きなトラブルもなく無事開催することができました。これまで参加しにくかった遠方の人たちや他の学会とも同時に参加できることなどのメリットがある反面、著作権の問題やリアルなコミュニケーションの問題など、今後の研究会開催のあり方を模索する研究会になりました。

(事務局長 岸本泰蔵)


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