毎日が気持ちよく、楽しくなる下着。

可愛いけれど媚びたものではなく、遊びっぽいけれどチープではなく。ウンナナクールというブランドは、身につける女の子自身が心から楽しみ、毎日を気持ちよく元気に過ごすためのきちんとした下着なのだ―― 。8月から店頭に並び始めた秋冬の新作ラインナップを見て、そんなことを思いました。
たとえば、恋のときめきを表現したKoi tokiシリーズは、ウケよりも何よりもまずは女の子が下着に抱く夢をそのまま形にしたという感じのラブリーさ。また、ブラのフロント部分に「PRAY(祈る)」、ショーツのお尻に「PLAY(遊ぶ)」とプリントされた限定品は、女の子の気まぐれなココロをまるごと応援してくれるような頼もしさです。
たまたま、日本の下着デザイナーの草分けである鴨居羊子さん(1925-1991)の著書『わたしは驢馬(ろば)に乗って下着をうりにゆきたい』を読んだばかりだった私は、思わず「時代は変わったのね...」とつぶやきそうになりました。
鴨居さんは大阪に生まれ、読売新聞の記者を経て、1955年に下着のデザイナーとして独立した人。色も素材も地味で活気がなかった当時の下着に、軽やかさ、カラフルさ、斬新さをもたらし、セクシャルな感覚を取り入れながらも決して「媚びたものではいけない」というポリシーをもっていました。今、彼女がウンナナクールのコレクションを見たら、その自由な遊び心に驚くのではないでしょうか。

下着の歴史は、女の子をどう変えたのか?
鴨居さんは新聞記者だった1952年、心斎橋の舶来雑貨店で「別世界の窓口のよう」な下着と出会います。月給一万七千円の時代、一万円近くもするあでやかなペチコートには手が届かず、千五百円の小さなピンクのガーターベルトを胸に抱きしめて帰宅。そっと見せた母には「お嫁にゆくまでしまっておくんですよ。それがたしなみというものです」とコゴトを言われるものの、翌日からさっそく身につけたそう。
彼女はその時のひそかな喜びをこう表現しています。「上はおそまつな黒っぽいセーター・スタイルなのに、私の中身はピンク色に輝き、おなかは絶えず一人笑いをした。とくにトイレへ行くときがたのしみである。ぱっとスカートをめくると、たちまちピンクの世界が開ける」

一方ワコールの歴史をひもとくと、創業は1946年、第1号ブラの誕生は1950年のこと。衣料品が政府の統制下にあったため、布の仕入れには苦労し、反物の端切れを買い集めて縫製したそうです。1952年には百貨店で初の下着ショウを開き、広告展開にも力を入れた結果、1956年には第一次下着ブームが起こりました。
記者時代からワコールを取材していた鴨居さんは「ワコール社の人たちは非常に大人で、私の勝手なおしゃべりを笑って聞いてくれた。商売ぬきに、ワコールというところは、素敵な人材がたくさんいるなあー」と本の中で絶賛しています。鴨居羊子という<ひとりの情熱的な女の子>が生まれた背景にワコールという会社あり! そして、そんな下着の黎明期から半世紀の時を経て、<ひとりのクールな女の子>(=ウンナナクール)というブランドは生まれたのでした。

「委員長」が女の子の下着ライフをチェックして見回っているという設定です。
ウンナナクール ランジェリーウォッシュ ¥525/洗濯ネット ¥1,575/ランジェリーボックス ¥2,730
■ウンナナクール :https://www.une-nana-cool.com/