ときには社会性から逃れてみる
美しくなりたいという気持ちは普遍的なもの。一人ひとりが理想の美を求めることができればいいと思うのですが、意外なネックになっているのが「若いほど美しい」「昔の自分のほうがよかった」という年齢の呪縛です。ある22歳の女子は、10代の肌に戻りたいとため息をつき、老化は20代から始まるという雑誌の記事を見て本気でこわがっていました。彼女はあと何十年、加齢の恐怖に怯えながら生きていかなければならないのでしょう。
としを取ることは、余分なものが身につき、若さを失うことなのか。ごく自然に考えると、人は本来、年齢とともに若い頃にはなかったいいものが身につき、不要なものがそぎ落とされていくはずなのではないでしょうか。
最近としを取ったとか、もう若くないわというセリフは、年齢を問わず決まり文句のように使われているふしがあります。残念ながら、そういうことを言う人は何となく老けた印象に見えてしまう。若くありたいと意識しすぎることで、逆に若さを遠ざけているような気がするのです。周囲の目を気にしたり、比較したり、失ったものの数を数えたり。世の規範に従うことによるネガティブシンキングが、老化を進行させるのかもしれません。
実際、まじめな人ほどメディアの啓蒙に影響されやすいようですが、いつも年齢に見合った雑誌を読み、社会的に適合する装いに心血を注ぐのは疲れること。ときには年齢や肩書きから逃れ、女らしさという呪縛から解き放たれることも大切では? だからといって年中ジャージにすっぴんではどうかと思いますが、その辺はお洒落のさじ加減ということで。
年齢を感じさせない無重力へ
エンポリオ・アルマーニは、年齢でくくらないブランドの好例といえるでしょう。ジョルジオ・アルマーニのディフュージョン・ブランドと思われがちですが、日本支社の副社長フランチェスコ・フォルミコーニ氏によると、ジョルジオ・アルマーニが「ラグジュアリー・ブランド」であるのに対し「ファッショナブル・ブランド」という位置づけだそう。
エンポリオ・アルマーニがお洒落で個性的なブランドであることは、2010年よりミーガン・フォックスをモデルに起用したレディースのアンダーウェアを見てもわかります。シンプルなカラーとフォルム、スポーティーでユニセックスなのにセクシーなデザイン。ラグジュアリーが年齢にふさわしい成熟であるとするなら、ファッショナブルとはより自由で柔軟性のある概念なのですね。
ちなみに2011年春夏のエンポリオ・アルマーニのテーマは「ファンシーガール」。未来的な軽さのニュアンスがあり、無重力、快活さ、階層からの自由、スポーツウェア志向などがキーワードです。プレタポルテ・コレクションを見て、私はこう思いました。年齢を重ねるとはゴージャスさをまとうことではなく、何かをあきらめたり捨てたりすることでもなく、引き算による洗練された遊びを知ることではないかと。
アンダーウェアのラインには、写真でご紹介した以外に、パーカーやロングパンツなどのルームウェアもあるんですよ。着る人をリラックスした気持ちにさせながら、見た目の印象としては脱力しすぎない絶妙なブランド感。たとえすっぴんで着たとしても、ジャージとは呼びたくないですね。